不動産コンサルタントの長嶋修氏がX上で公開した長文コラム「資産防衛という幻想」が話題になっている。AIによる生産性革命がもたらす構造的デフレ、通貨制度の崩壊リスク、そして「資産防衛」という概念そのものへの疑問を投げかける内容だ。

核心の主張:「沈みゆく船の中で座席を替えている」

長嶋氏のコラムで最も刺さるのは、この一節だろう:

「既存の通貨制度が続く」「労働による所得が存在する」という前提の上に立っている。その前提を疑わずに「株と債券の比率をどうするか」を議論しているのは、沈みゆく船の中で座席を替えているようなものだ。

世に溢れる「資産防衛術」は、金融商品の配分をどうするかという枠組みの中にいる。だがその枠組み自体が、既存の通貨制度と労働所得の存在を前提としている。AIがその前提を壊しうるなら、議論の土台ごと揺らぐことになる。

AIとロボットが「デフレ」を生む日

AIとロボティクスの進化が加速し続けている。AIが設計し、ロボットが製造し、AIが管理する。人間の労働が介在しない生産ラインが現実のものになりつつある。

そうなれば、モノやサービスの供給能力は爆発的に拡大し、限界費用はゼロに近づく。物価は上がるどころか、構造的に下がり続けることになる。つまり、いまのインフレの先に待っているのは、かつてない規模のデフレかもしれない。

長嶋氏はこう指摘する。生産性が極限まで高まれば物価は下がる。これは経済学の基本原理であり、インフレが永続するという想定のほうが特殊な前提を必要とする、と。

デフレが意味するもの:「現金最強」は半分しか正しくない

デフレとは、貨幣の購買力が時間とともに上がる現象だ。ここで「現金最強」という話が出てくるが、これは半分しか正しくない。

現金は確かに「毀損しにくい」が、利回りはゼロであり、何も生み出さない。1990年代後半から2010年代の日本を振り返れば、現金だけを抱え続けた人が最も豊かになったわけではない。デフレの本質は「名目の数字と実質的な価値は別物だ」ということを教えてくれる点にある。

不動産についても同様だ。不動産には「交換価値」(売買価格)と「収益価値」(賃料収入)と「使用価値」(そこに住める、使える)の三つがある。デフレ下では「交換価値」は確かに下がるが、「使用価値」に至っては全く毀損しない。今日も雨風をしのげる屋根の価値は、デフレかインフレかを問わない。

「尺度」そのものが壊れるとき:金融リセットの可能性

論点はさらに深まる。通貨とは「信用の合意」に過ぎない。円にもドルにも物理的な裏付けはない。現行の管理通貨制度は1971年のニクソン・ショック以降、まだ半世紀しか経っていない。歴史的に見て、永久に続いた通貨制度など存在しない。

AIによる生産性革命がデフレを引き起こし、それが既存の金融システムに耐えがたいストレスをかけたとき、「金融リセット」と呼ばれる事態が起きうる。そうなれば、現金も安泰ではない。

しかし重要なのは、「価値の尺度」が壊れても「価値そのもの」は消えないという事実だ。メートル原器が壊れても物理的な距離は存在し続ける。同様に、「そこに住める」「そこで商売ができる」という不動産の「使用価値」は、通貨制度とは独立に存在し続ける。

「人的資本が最強」という最後の砦も崩れる

長嶋氏は長年、「最終的には人的資本が最強だ」と言ってきたという。知識、技能、信頼関係。通貨が変わっても、「この人に頼めば問題が解決する」という信用は移転可能だ、と。

だが、AIが人間の技能を同等以上の品質で、ほぼゼロコストで代替するなら、「人的資本」の市場価値そのものが崩壊する。これは「仕事が減る」というのんきな話ではない。労働と報酬の交換を前提に設計された社会制度——賃金、年金、社会保険、税制——そのすべてが機能不全に陥るということだ。

ここで注目すべき点がある。富の総量は減らない。むしろ爆発的に増える。AIとロボットが生産を担えば、社会全体としては「豊か」になる。にもかかわらず個人が困窮するとすれば、それは生産の問題ではなく、分配の問題である。

三重の崩壊のあとに残るもの

AIによるデフレ、金融リセット、労働の代替。この三つが重なる最悪のシナリオで、崩壊するものを整理すると——金融資産の名目価値、通貨の信用、労働による所得、人的資本の市場価値、既存の分配制度。ほぼすべてが揺らぐ。

それでも残るものがある:

  1. 尺度に依存しない実物的価値 — 自分が住む場所、食料やエネルギーへのアクセス、健康、人的ネットワーク。これらはどんな通貨制度のもとでも交換力を持つ。

  2. 生産手段へのアクセス — AIとロボットが富を生むなら、それを所有・アクセスできるかどうかが決定的に重要になる。AIを「使われる側」ではなく「使う側」にいること。

  3. 制度設計への影響力 — 富の分配が最大の問題になるなら、そのルールを決める過程に関与できることの価値は極めて大きい。政治参加、コミュニティでの発言力、社会的資本。

問うべきは「何を守るか」ではない

長嶋氏の結論は明快だ:

問うべきは、「何を守るか」ではなく、「制度が変わったときに、自分は何を創れるか」である。

過去の成功パターンをそのまま延長して安心することが、最も危険な「資産運用」かもしれない。いまのインフレを心配するのは自然なことだが、その先に起こりうることにも目を向ける必要がある。

AI時代における本当の「備え」とは、金融商品のポートフォリオを最適化することではなく、制度が根本から変わっても価値を持ち続けるものに投資することなのだろう。