AI エージェントの台頭により、エンタープライズソフトウェアの競争構造が大きく変わりつつある。従来の SoR(System of Record) から SoA(System of Action) への転換が進むなかで、何が新たな Moat になるのかを整理する。
Moat とは
Moat(モート)は英語で「城の堀」を意味する。投資家ウォーレン・バフェットが「経済的な堀(Economic Moat)」として広めた概念で、競合他社が簡単には真似できない、持続的な競争優位性のことを指す。城の堀が敵の侵入を防ぐように、ビジネスにおける Moat は競合の参入を阻む構造的な障壁として機能する。ブランド力、ネットワーク効果、スイッチングコスト、独自データなどが代表的な Moat の例だ。
SoR(System of Record)とは
SoR は「記録のシステム」、つまりデータを入力・蓄積・管理するためのソフトウェアを指す。CRM、ERP、会計ソフトなど、業務データの正式な記録先として機能するシステムがこれにあたる。
2010 年代の SaaS ブーム期には、SoR に加えて以下の概念も議論されていた。
- SoE(System of Engagement) — 顧客やユーザーとの接点を担うシステム
- SoI(System of Insight) — データを分析し、示唆を得るためのシステム
これらは米国 VC 界隈では以前から知られたフレームワークだが、AI エージェントの登場によって、新たに SoA という概念が注目を集めている。
SoA(System of Action)とは
SoA は「行動のシステム」を意味する。従来のソフトウェアでは、データの分析結果をもとに人間が判断・実行していた。SoA では、AI エージェントがユーザーの意図を受け取り、自律的にデータ収集・処理・実行までを完結させる。
具体的には、
- 従来(SoR 中心): ユーザーが UI を操作 → データ入力 → 分析結果を確認 → 人間が判断・行動
- SoA 時代: ユーザーが意図を伝える → AI エージェントが複数システムを横断 → API や MCP 経由でデータ収集・処理 → 結果を自動で実行
この変化は単なる UI の改善ではなく、業務ソフトウェアの構造そのものの転換といえる。
課金モデルの変化
SoR 時代はユーザー数(シート数)ベースの課金が主流だった。しかし SoA 時代では、AI エージェントが業務を遂行する以上、「何人が使うか」よりも「どんな成果を出したか」が重要になる。そのため、アウトカムベース(成果課金)への転換が進むと予測されている。
新たな Moat は何か
AI 時代の Moat として注目される要素は以下のとおり。
1. データの重力(Data Gravity)
長年蓄積された顧客データ、利用パターン、業界固有のナレッジ。AI モデル自体はコモディティ化しても、独自のデータ資産は容易に再現できない。SoR として蓄積されたデータが、SoA の精度を左右する。
2. 業務の入口(ユーザーフロント)
ユーザーが最初に触れる「業務の入口」を押さえることが、Moat 構築の鍵になる。LLM の進展により全てのサービスが再定義されるなかで、この入口の覇権を巡る競争が激化している。
3. ワークフローへの深い組み込み
ミッションクリティカルなワークフローに深く組み込まれたプラットフォームは、スイッチングコストが高く、Moat として機能する。Salesforce の Agentforce や ServiceNow の AI エージェントのように、既存のプラットフォームをオーケストレーションハブとして再構築する動きが活発化している。
セクター × ビジネスモデル × Moat
AI 時代の競争戦略は、以下の3つの変数の掛け合わせで考える必要がある。
- どの業界を選ぶか(セクター / ドメイン)
- どの価値の取り方をするか(ビジネスモデル)
- どこに競争優位を築くか(Moat)
汎用的なバーティカル SaaS で独自のデータ Moat を持たないプロダクトは、AI エージェントに代替されるリスクが高い。一方で、特定ドメインの深いデータと業務知識を持ち、AI ネイティブなアーキテクチャで SoA を実現するプロダクトには大きなチャンスがある。
まとめ
SoR から SoA への転換は、エンタープライズソフトウェアの競争地図を塗り替える構造変化だ。AI エージェントが業務を自律的に遂行する時代において、Moat となるのは「データの蓄積」「業務の入口の確保」「ワークフローへの深い組み込み」の3つ。この転換期は、スタートアップにとっても既存プレイヤーにとっても、新たな覇権を巡る大きな転機となっている。