SoR から SoA へ — エージェント時代に業務ソフトウェアの「どの層」が死ぬのか

Yuichiro Ito(@110110110110) 氏(Finatext CFO)が、AIエージェント時代における業務ソフトウェアの構造変化を分析した note 記事を公開しました。

「SaaS is Dead」の議論が盛り上がっていますが、「死ぬか死なないか」の二者択一ではなく、もっと本質的な構造変化が起きていると思っています。UIレイヤーの価値は消滅し、SoRが長年築いてきた Moat も弱体化し、独占寡占が当たり前だった SoR 市場に、千載一遇のチャンスが生まれています。 — @110110110110

元記事: 【SoR→SoA】エージェント時代に訪れる千載一遇のチャンス

「SaaS は死ぬのか?」という問いは不毛です。正しい問いは「業務ソフトウェアのどの層の価値が、どう変わるのか?」です。本記事では、伊藤氏の論考を軸に、SoR(System of Record)から SoA(System of Action)への構造変化を解説します。

「SaaS is Dead」論争の経緯

2026 年に入り、「SaaS の終焉」を巡る議論が急速に加熱しています。

時期出来事
2024 年末Microsoft CEO ナデラ氏が「AIエージェントが主流になれば従来型 SaaS が崩壊する可能性」に言及
2025 年YC パートナー Jared Friedman 氏が「Vertical AI Agents は SaaS の 10 倍の市場規模になる」と予測
2026 年 1 月Anthropic が Claude Opus 4.6 と Cowork を発表。SaaS 銘柄が急落し、約 43 兆円の時価総額が消失
2026 年 2 月OpenAI CEO Sam Altman がシスコ AI サミットで「SaaS is Dead」を宣言
2026 年 3 月英語圏で「SaaSocalypse(SaaS の黙示録)」という新語が登場

Sam Altman が提示したのは「Software as a Service」から「Service as Software」への反転です。人間がソフトウェアを操作するのではなく、AI が主体的にサービスを提供する世界への転換を意味しています。

しかし伊藤氏は、この議論が「死ぬか死なないか」の二項対立に陥っていると指摘します。本質は業務ソフトウェアの構造そのものが変わることにあります。

業務ソフトウェアの 3 層モデル

Salesforce も Workday も SAP も、業務ソフトウェアは歴史的に以下の 3 層で価値を積み上げてきました。

┌─────────────────────────────────┐
│  UI 層                          │  操作性・UX・画面設計
├─────────────────────────────────┤
│  ビジネスロジック層              │  業務フロー・ルール・ワークフロー
├─────────────────────────────────┤
│  データ層                       │  蓄積された取引データ・記録
└─────────────────────────────────┘

SaaS 企業はこの 3 層全体を「月額課金」でパッケージングしてきました。UI の使いやすさで顧客を獲得し、ビジネスロジックで業務を効率化し、蓄積されたデータでロックインする。このモデルが 20 年間機能してきたのです。

エージェントレイヤーの誕生

AI エージェントの登場で、この 3 層構造に新しいレイヤーが割り込みます。

従来のアーキテクチャ

人間 ←→ GUI(画面)←→ ビジネスロジック ←→ データベース

人間が画面を操作し、システムに指示を与えていました。複数のシステムを跨ぐ業務(受注 → 在庫確認 → 出荷指示 → 請求)は、人間が各画面を行き来して「つなぐ」作業を担っていました。

エージェント時代のアーキテクチャ

人間 ←→ AI エージェント ←[MCP/API]→ ビジネスロジック ←→ データベース
              ↕
         自然言語インターフェース

AI エージェントが人間の代わりにシステムを操作します。複数システムを跨ぐ業務も、エージェントが MCP(Model Context Protocol)や API を通じて自律的に実行します。

この変化がもたらす帰結は明確です。

3 層の価値がどう変わるか

UI 層: 価値が消滅する

エージェントは画面を見ません。API や MCP を通じてデータに直接アクセスします。「使いやすい管理画面」「洗練された UX」という差別化要因は、エージェントにとって無意味です。

Claude Opus 4.6 は Excel や PowerPoint を直接操作できます。人間が画面を見てクリックする必要がそもそもなくなるのです。

影響を受ける SaaS の例:

  • プロジェクト管理ツール(Asana、Monday.com 等)
  • 文書管理ツール(Notion、Confluence 等)
  • UI の使いやすさを最大の差別化としていた製品

ビジネスロジック層: 弱体化する

LLM がコードを自動生成できる時代には、特定 SaaS 固有のビジネスロジック実装は差別化の源泉になりにくくなります。「ワークフローの柔軟性」「業務ルールのカスタマイズ性」といった優位性が薄れます。

ただし、金融規制対応・会計基準準拠・業界固有のコンプライアンスロジックなど、規制に紐づくビジネスロジックは引き続き参入障壁として機能します。

データ層(SoR): 相対的に強化される

蓄積された取引データ・顧客データ・業務記録こそが、最後の参入障壁(Moat)です。データは他のベンダーに簡単にはコピーできません。

しかし伊藤氏は、この Moat すら弱体化し始めていると論じます。

SoR / SoE / SoI の従来分類

業務システムの分類として広く使われているのが、ガートナー由来の 3 分類です。

分類正式名称役割
SoRSystem of Recordデータを正確に記録・管理する基幹システムERP、会計、人事(SAP、Workday)
SoESystem of Engagement顧客との接点を構築するシステムCRM、MA(Salesforce、HubSpot)
SoISystem of Insightデータ分析から洞察を得るシステムBI、予測分析(Tableau、Looker)

SoR は「正しいデータを正しく記録する」ことが使命であり、長年の運用で蓄積されたデータと、規制準拠のロジックが参入障壁を形成してきました。SAP の ERP を別のシステムに置き換えることが極めて困難なのは、この構造的な理由によるものです。

SoA(System of Action)という新概念

伊藤氏が提唱する SoA = System of Action は、「ユーザーが直接対話して業務を実行する層」を指します。従来は UI を介して人間が操作していたこの層が、AI エージェントに丸ごと代替されるという構造変化が起きています。

従来:
  SoE(顧客接点)→ 人間が UI を操作 → SoR(基幹記録)

エージェント時代:
  SoE → AI エージェント(SoA)→ MCP/API → SoR
         ↑ この層が新たに誕生

SoR の Moat が弱体化する理由

伊藤氏の論理を整理すると、以下の 3 段階で SoR の参入障壁が崩れます。

障壁 1: 既存データの移行コスト → エージェントがデータ移行を自動実行できるようになると、移行の痛みが大幅に軽減される

障壁 2: 長年のカスタマイズ蓄積 → LLM がビジネスロジックをコード生成できるため、カスタマイズの再構築コストが下がる

障壁 3: 組織の使い慣れ(UI への習熟) → エージェントが操作する以上、人間が UI に慣れている必要がない

この 3 つの障壁が同時に弱まることで、独占寡占が当たり前だった SoR 市場に新規参入の機会が生まれるというのが「千載一遇のチャンス」の意味です。

アウトカムベース課金への転換

エージェントが業務を自律的に遂行する時代には、従来の課金モデルが機能しなくなります。

課金方式前提エージェント時代の問題
シート課金「人間ユーザー」が使うエージェントに ID は不要
機能課金特定機能の使用機能の差別化が消失
従量課金API 呼び出し数ベンダー収益が不安定化

代わりに台頭するのが**アウトカム課金(Outcome-Based Pricing)**です。

アウトカム課金の具体例

  • 採用 SaaS: 「採用成功 1 件につき〇万円」
  • 与信管理 SaaS: 「回収した売掛金の〇%」
  • 調達 SaaS: 「コスト削減額の〇%」

市場の動向

Gartner の予測によると、2030 年までにエンタープライズ SaaS 支出の 40% 以上が「利用量・エージェント・アウトカム」ベース課金に移行するとされています。Bessemer Venture Partners のインデックスでは、クレジット方式の採用が 2024 年末の 35 社から 2025 年に 79 社へ 126% 増加しています。

アウトカム課金の課題

伊藤氏は前回の note(生成 AI によるソフトウェアの提供価値変化とアウトカム課金の功罪)で功罪の両面を論じています。

  • 測定基盤が未整備: 多くのカテゴリで「成果」の定量化が困難
  • 収益予測の不確実性: ベンダー側の事業計画が立てにくくなる
  • 帰責問題: 顧客側の要因で成果が出なかった場合の責任の所在

MCP が構造変化を加速する

この構造変化を技術的に可能にしているのが MCP(Model Context Protocol) です。2024 年 11 月に Anthropic が公開し、2025 年 3 月に OpenAI も採用。2025 年 12 月には Linux Foundation 傘下の Agentic AI Foundation(AAIF)に移管され、事実上の業界標準となっています。

MCP により、AI エージェントは「人間用管理画面」を経由せずに、セキュアに基幹データへ直接アクセスできるようになります。

従来:  人間 → ブラウザ → SaaS 管理画面 → API → DB
MCP:   エージェント → MCP サーバー → DB
       ↑ UI 層をスキップ

Finatext は自社の金融基幹プラットフォーム(BaaS、Inspire、Crest)全てに MCP を標準実装すると発表しており、「AI-ready SoR」として既存プレイヤーとの差別化を図っています。

著者の立ち位置と論考の意義

伊藤氏が CFO を務める Finatext は、金融機関向けの証券基幹システム・保険システム・信用業務システムを提供する企業です。つまりSoR を事業の核心に置く Vertical SaaS 企業です。

この論考は純粋なアカデミックな分析ではなく、自社事業の戦略的文脈と深く結びついています。Finatext にとって「SoR 市場の構造変化」は、まさに自社の生存と成長がかかったテーマです。

論考の先進性

日本国内の議論が「SaaS は本当に死ぬのか?」という検証段階に留まる中で、伊藤氏は「前提が変わった後の戦略論」に踏み込んでいます。3 層モデルによる構造分析は、二項対立を超えた精緻な議論を可能にしています。

留意点

  • 「SoA = System of Action」は著者の独自フレーミングであり、業界標準の定義ではありません(SoA は「Service-Oriented Architecture」の略としても使われます)
  • SoR の Moat 弱体化は現時点では仮説段階であり、SAP 等の大型 SoR が実際にどの程度代替されるかは未知数です
  • アウトカム課金の普及には成果測定インフラの整備が前提であり、多くのカテゴリで技術的に困難な段階です

生き残る SaaS、消える SaaS

議論を総合すると、以下の構図が見えてきます。

カテゴリ見通し理由
UI 重視の汎用 SaaS最も危険エージェントに UI は不要。差別化要因が消滅
ビジネスロジック中心の SaaS弱体化LLM によるコード生成で再構築コストが低下
規制対応の Vertical SoR比較的安全コンプライアンスロジックは容易に代替できない
AI-native SoR(新規参入)最大のチャンスエージェントファーストで設計された基幹システム
データプラットフォーム強化蓄積データへの需要が増大

まとめ

  • 「SaaS は死ぬか」は間違った問い: 正しくは「業務ソフトウェアの 3 層(UI・ビジネスロジック・データ)のどの層の価値がどう変わるか」
  • UI 層の価値は消滅する: AI エージェントは画面を見ない。MCP/API を通じてデータに直接アクセスする
  • SoA(System of Action)という新レイヤーが誕生: 人間が UI を操作していた層が、AI エージェントに丸ごと代替される
  • SoR の Moat が弱体化: データ移行コスト・カスタマイズ蓄積・UI 習熟の 3 障壁が同時に崩れ、新規参入の機会が生まれる
  • 課金モデルがアウトカムベースに転換: シート課金の前提(人間ユーザー)が崩れ、成果ベースの課金が台頭。2030 年に SaaS 支出の 40% 以上が移行する予測
  • MCP が構造変化を技術的に可能にしている: AI エージェントが基幹データにセキュアに直接アクセスする業界標準プロトコル
  • 規制対応の Vertical SoR が最も安全: 一方で AI-native SoR として新規参入する好機でもある

参考