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ニューカラー — 1970年代アメリカでカラー写真が「芸術」になった瞬間

いま写真展に行けば、カラー作品が並んでいることに誰も驚きません。しかし 1970 年代初頭までのアメリカでは、カラー写真は「広告や家族アルバムのもの」であり、芸術写真とはモノクロのことでした。この常識をひっくり返したのが ニューカラー(New Color) と呼ばれる潮流です。

ニューカラーとは、1970 年代のアメリカで、それまで商業用・記録用とされていたカラー写真をファインアートの表現手段として確立させた写真の動きを指します。この記事では、その代表的な写真家とその作品を、「いつ・何が起きて・何が変わったのか」という時系列に沿って整理します。

なぜカラー写真は「芸術ではなかった」のか

理由は複数あります。

つまりカラーが芸術になるには、技術の成熟だけでなく、「美術館が公式にそう認める」という制度的な事件 が必要だったわけです。それが 1976 年に起きます。

年表:カラー写真が「芸術」になるまで

ニューカラーの年表。1972年スティーブン・ショアのAmerican Surfaces撮影開始から、1976年のMoMAエグルストン展という転換点、1981年のサリー・オークレアによる命名を経て、1987年のスターンフェルド『American Prospects』刊行までの主要な出来事を、機材や意義とともに時系列で並べた図

要点をテキストでも抜き出しておきます。

図の通り、ニューカラーは「ある年に始まった運動」ではありません。1970 年代前半から各地で個別に進行していた実践が、1976 年の展覧会で制度的な承認を得て、1981 年に事後的に名前を与えられた — という順序で成立しています。

1976年 — MoMA エグルストン展という転換点

ウィリアム・エグルストン(William Eggleston) は「ニューカラーの父」と呼ばれる筆頭的存在です。

1976 年 5 月 24 日から 8 月 1 日まで、ニューヨーク近代美術館(MoMA)で個展「Photographs by William Eggleston」が開催されました。これが、カラー写真がファインアートとして公式に認められた決定的な転換点です。企画したのは、当時 MoMA 写真部門を率いていた ジョン・シャーカフスキー(John Szarkowski) でした。

エグルストンのスタイルを特徴づけるのは 2 点です。

  1. ダイ・トランスファー・プリント — 広告業界で使われていた高彩度・高保存性のプリント技法を作品制作に持ち込み、それまでの「褪せたカラー」とは異質な鮮烈な色を実現しました。
  2. 日常の何気ない対象 — 三輪車、天井、ガソリンスタンド、食卓。被写体の選択に「作品らしさ」がなく、独特の構図だけがそれを写真たらしめています。

注目すべきは、この展覧会が 同時代には酷評された ことです。ニューヨーク・タイムズの美術批評家ヒルトン・クレーマーは「完璧に退屈」と切って捨てました。歴史的転換点は、リアルタイムでは往々にして「失敗した展覧会」に見えます。

1972〜82年 — スティーブン・ショアと大判カメラの客観性

スティーブン・ショア(Stephen Shore) はエグルストンと並んでニューカラーを牽引した存在ですが、辿った道筋は対照的です。

大判カメラは 1 枚あたりのコストと手間が跳ね上がるため、撮影者は三脚を据え、構図を吟味し、待つことになります。この「遅さ」が、スナップとは異なる 精密で客観的な記述 をもたらしました。

1981年 — サリー・オークレアが運動を命名する

散らばっていた実践に輪郭を与えたのが、キュレーター サリー・オークレア(Sally Eauclaire) による 1981 年の書籍 『The New Color Photography』(Abbeville Press 刊)と、ニューヨークの国際写真センター(ICP)で開催された同名の展覧会です。

これは現代カラー写真だけを扱った最初の本格的な出版物でした。エグルストン、ショア、ヘレン・レヴィット、ジャン・グルーヴァー、デイヴィッド・ホックニーなど 40 名以上を一冊に束ねています。「ニューカラー」という呼称そのものが、この本に由来します。

運動を担った写真家たち

ショアの節で見た「大判への移行」は、彼個人の選択にとどまりません。以下の 3 人もそれぞれ大判に向かっており、ニューカラーは 大判カラーによる即物的な記述 という共通の技術的基盤を持つ運動でもありました。

ジョエル・マイロウィッツ(Joel Meyerowitz)

35mm のストリート・フォトグラフィから出発し、8×10 の Deardorff 大判カメラへ転向しました。1976〜77 年の夏にマサチューセッツ州ケープコッドで撮影した作品をまとめたのが 『Cape Light』(1978 年) です。20 世紀を代表する写真集の一冊として評価されています。光そのものを主題にできることを示した仕事です。

ジョエル・スターンフェルド(Joel Sternfeld)

8 年間にわたるアメリカ横断取材から 55 点を選んだ 『American Prospects』(1987 年) で知られます。8×10 大判とキャンピングカーという組み合わせで、アメリカ社会の矛盾や風景の変化を、ユーモアと社会的視点を交えて描きました。刊行はニューカラー命名から 6 年後で、運動の成果が結実した時期の仕事にあたります。

ジョン・プファール(John Pfahl)

《Altered Landscapes》(1974〜78 年) では、風景の中に紐やテープ、金属の棒を配置しました。特定の一点から撮影したときだけ、幾何学的な図形が立ち上がるという仕掛けです。カメラが持つ単一視点の遠近法(一点透視)と、両眼視である人間の知覚とのズレを利用したもので、風景を「撮る」のではなく 写真という表現の構造そのものを問う 作品でした。撮影後、風景は元の状態に戻されています。

リチャード・ミズラック(Richard Misrach)

1979 年に開始した 《Desert Cantos》 は、アメリカ西部の砂漠を舞台に、環境破壊や人間と自然の関係を大型カメラで捉えた連作です。18 の章から成り、20 年以上にわたって撮り継がれました。

補足: ミズラックはニューカラーと同時代・同傾向の作家としてしばしば併記されますが、1981 年のオークレアの書籍・展覧会の参加作家リストには含まれていません。「ニューカラーの周辺で、同じ問題意識を大判カラーで追った作家」と位置づけるのが正確です。

ニューカラーとニュー・トポグラフィックスの違い

ニューカラーとしばしば並べて語られるのが ニュー・トポグラフィックス(New Topographics) です。1975 年 10 月から翌年 2 月にかけてジョージ・イーストマン・ハウス(ロチェスター)で開催された展覧会「New Topographics: Photographs of a Man-Altered Landscape」に由来し、企画はウィリアム・ジェンキンス。ロバート・アダムス、ルイス・ボルツ、ベッヒャー夫妻ら 10 名が参加しました。

両者は「1970 年代アメリカ」「郊外や人工的な風景」「感情を排した即物的な記述」を共有していますが、決定的な違いがあります。

そして両者は排他的ではありません。スティーブン・ショアは 1975 年のニュー・トポグラフィックス展の参加作家 10 名の一人であり、その中でカラーで出品した例外的な存在でした。二つの潮流はショアという結節点で交差しています。

ニューカラーが現代写真に残したもの

ニューカラーが実行したのは、単なる「モノクロからカラーへ」という材料の変更ではありません。

この姿勢は後続に引き継がれました。アレック・ソス(Alec Soth) はエグルストン、ショア、スターンフェルドらのアメリカン・ロード的な系譜のなかで語られる作家です。日本では ホンマタカシ の郊外を捉えた仕事が、ニューカラーやニュー・トポグラフィックスと並べて論じられることが多くあります。

なお、「色をどう設計するか」という問いは批評の世界だけのものではありません。実務の物撮りでも同じ形で現れます(参考: 料理写真のライティング実践ガイド — 面光源と定常光で「美味しそう」に撮る)。

駐車場やモーテルの一室を撮った写真が美術館に架かることを、いまや誰も疑いません。その常識は、50 年前に一度ひっくり返された結果として存在しています。

参考リンク



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