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ニューカラー(New Color)

1970年代アメリカで、商業用・記録用とされたカラー写真をファインアートへ引き上げた潮流

概要

1970 年代のアメリカで、それまで商業用・記録用と見なされていたカラー写真をファインアートの表現手段として確立させた写真の潮流。1976 年の MoMA エグルストン展で制度的な承認を得て、1981 年に事後的に名前を与えられた。

「ある年に始まった運動」ではない —— 1970 年代前半から各地で個別に進行していた実践が、展覧会で承認され、後から命名されたという順序で成立している。

なぜカラーは芸術ではなかったのか

つまりカラーが芸術になるには、技術の成熟ではなく 「美術館が公式にそう認める」という制度的な事件 が必要だった。

年表

年出来事
1972スティーブン・ショアが《American Surfaces》の撮影を開始(35mm、評価は冷淡)
1974–78ジョン・プファール《Altered Landscapes》
1976MoMA「Photographs by William Eggleston」(5/24–8/1、ジョン・シャーカフスキー企画)
1978ジョエル・マイロウィッツ『Cape Light』
1979–リチャード・ミズラック《Desert Cantos》開始
1981サリー・オークレア『The New Color Photography』(Abbeville Press)/ICP で同名展 → 命名
1982スティーブン・ショア『Uncommon Places』
1987ジョエル・スターンフェルド『American Prospects』

主要な写真家

注意: リチャード・ミズラックは同時代・同傾向の作家としてしばしば併記されるが、1981 年のオークレアの書籍・展覧会の参加作家リストには含まれていない。「ニューカラーの周辺で同じ問題意識を大判カラーで追った作家」と位置づけるのが正確。

ニュー・トポグラフィックスとの違い

基調主題
ニュー・トポグラフィックス(1975)モノクロ人の手が加わった風景そのもの
ニューカラー(1976–81)カラー色を主題として引き受けること。被写体は風景に限らない

排他的ではなく、ショアという人物で交差している。

果たした役割

  1. カラーを「失格条件」から「中立的な選択肢」に変えた — 1976 年以降、写真家は「なぜカラーなのか」を弁明せずに済むようになった
  2. 「見る主体」の系譜の最後の完成形 — 翌 1977 年のシンディ・シャーマンはもう世界を見ておらず、自分が演じた既製イメージを撮る
  3. 1980年代の大画面カラー作品の前提条件 — グルスキーやジェフ・ウォールは、カラーが承認されていなければ成立しない
  4. 「劣位の技術を芸術が吸収する」手続きの雛形 — 隠して既存の美学に似せるのではなく、その技術でしか成立しない特質を前面に出す。ピクトリアリズムが絵画に似せて失敗した道の正反対

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ソース記事