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写真史の転換点

1839年から現在までの写真史を「技術」「制度・美学」「流通・受容」「発注」の4軸で整理した見取り図

概要

写真史の「転換点」には性質の異なる 4 種類があり、混ぜて並べると個々の運動の役割が見えなくなる。写真史の教科書(正典)は美術館と美術批評が書いてきたため、②の軸だけを「運動」として詳述し、①③④を「背景」の章に落とす傾向がある。

転換点を測る4つの軸

軸問い記録する分野
① 技術的転換何が記録できるようになったか技術史・産業史
② 制度的・美学的転換何が芸術写真と認められるか美術館・写真批評(=正典)
③ 流通・受容の転換誰がどこで写真を撮り、見るかメディア論・産業統計(正典では手薄)
④ 発注の転換誰の費用と目的で写真が撮られるか広告史・政治史・経済史(正典ではほぼ不在)

4 軸は独立して動く。技術が可能になっても芸術として認められるとは限らない —— カラー写真の技術はオートクローム(1907)とコダクローム(1935)で確立済みだったが、芸術としての承認は1976年。約70年の空白がある。

③ と ④ は別物である。③ は「どれだけの人がどこで撮り、見たか」という規模と場所の話で、その写真が誰の金と目的で撮られたかを問わない。自撮りと、国家機関が指示書を配って撮らせた記録写真は、③ の上では同じ「流通が大きい出来事」に見えてしまう。

④ で最初に現れる発注者は企業でも国家でもなく 個人 である。19世紀に撮られた写真の圧倒的多数は、個人が写真館に払って作らせた肖像だった。この軸は写真の発明と同時に始まっている。

7つの時代区分

区分年代主な出来事
I. 発明と定着1839〜1880年代ダゲレオタイプ/カロタイプ、湿板、ティンタイプとカルト・ド・ヴィジット、網版の普及、コダック No.1(1888)、ブラウニー(1900)
II. 芸術としての自立と職業としての成立1890年代〜1930年代ピクトリアリズム → ストレート・フォトグラフィ/f/64(1932)、広告・ファッション写真の職業化
III. 記録・報道・宣伝1930年代〜1955年FSA(農業安定局)、各国の国家写真部門、グラフ誌、マグナム(1947)、The Family of Man(1955)
IV. 主観への転回1958〜1970年代『The Americans』、New Documents(1967)、プロヴォーク
V. 即物性とカラー1963〜1981年ルシェ、ニュー・トポグラフィックス(1975)、ニューカラー
VI. 美術としての写真1977〜1990年代ピクチャーズ・ジェネレーション、デュッセルドルフ派
VII. 脱物質化1990年〜現在デジタル化、インターネット流通、SNS、生成AI

正典が流通軸と発注軸を書かない理由

正典の分析単位は「運動」=共有された美学的綱領を持つ作家の集団である。宣言があり、展覧会があり、名前のついた作家がいる。

デジタル化・インターネット流通・SNS にはそのどれもない(作者がいない/マニフェストがない/展覧会で始まらない)。これは写真史そのものの性質ではなく、写真史を書いてきた分野の職業的な視野の問題である。

④ はさらに徹底して落ちる。発注者は作品に署名しないからだ。残るのは予算と指示書と契約で、どれも作家の名前では流通しない。広告写真は「誰の作品か」ではなく「何の広告か」で記憶され、国家プロジェクトの写真は所属機関の名前で保管される。

発注軸で見た通史

費用を出す主体が入れ替わっていく一本の線として読める。

時期発注者代表例
1839〜1850年代個人(富裕層)ダゲレオタイプの肖像 —— 高価で、依頼できるのは限られた層
1854〜1860年代個人(大衆へ)アンブロタイプ・ティンタイプ(安価な一点物)、カルト・ド・ヴィジット、「カルトマニア」。④の量的頂点
1888〜1900個人が発注をやめるコダック No.1($25、まだ富裕層)→ ブラウニー($1)で大衆化。③では誕生、④では発注者としての個人の退場
1920年代企業スタイケン(コンデナスト/J. Walter Thompson)、バウハウスの広告工房、レンガー=パッチュの産業受注
1930〜40年代国家FSA・OWI、『USSR in Construction』、宣伝省、『写真週報』、『FRONT』
1936〜国家と企業が同床『LIFE』で報道写真と広告写真が同じ版面・同じ資金構造を共有
1943〜1950企業(国家から移動)ストライカーがスタンダード石油(ニュージャージー)の写真プロジェクトへ
1955国家(文化外交)The Family of Man の海外巡回の実務は USIA が担った(枠組みは MoMA 国際プログラム)
1990年代画像在庫の所有者Corbis(1989)、Getty(1995)——発注されうる画像を先に所有するモデル
2010年代プラットフォームと個人ブランドコンテンツ、インフルエンサーへの発注
2022〜学習データの所有者生成AIが最初に置き換えたのは「依頼されて撮られる写真」

個人の発注はこの間ずっと途切れていない。 婚礼、遺影、記念写真、見合い写真、七五三と成人式の写真館 —— 19世紀の肖像写真館から今日まで連続する産業だが、正典にはほぼ登場しない。作者もマニフェストも展覧会もなく、残るのは家庭のアルバムだけだからである。2010年代以降のプロフィール写真・フォトウェディング、生成AIによる肖像生成は、この最も古い④が形を変えて表に出てきたもの。

FSA を「社会改良の道具」と書くと落ちるもの

FSA = Farm Security Administration(農業安定局)。写真部門は 1935 年に RA(再定住局)歴史課として発足し、1937 年に FSA、1942 年に OWI(戦時情報局)へ移管された。「FSA 写真」は移管先の官庁名であり、写真家の集団名ではない —— 作品群が発注者の組織名で呼ばれている、④ 軸の例。

FSA は国家の画像生産機関でもあった。撮るべき対象を列挙した指示書(shooting script)が用意され、採用しないネガにはパンチで穴を開けて使用不能にし、完成写真を報道機関へ無償配布した。穴を開けたネガは破棄されておらず約10万点が議会図書館に現存する(35mm ネガに限った処置で、写真家の抗議により1939年に中止)。1942年に部署ごと OWI(戦時情報局)へ移管。ロススタインの牛の頭骨(1936)は移動させて撮ったことが露見し、1936年大統領選の争点になった。

ただし 2 点は区別が必要。

4軸で測ると見えること

この見方の限界

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